解体現場で発生した産業廃棄物を中間処理場へ軽トラで運んだ時に見た「廃棄物」。
どう見てもゴミではなく、道具に見えた。
思わず近寄って見入っていたら、作業員さんがモーターは普通に動いたとおしえてくれた。何をする機械なのかは分からなかったようだ。
可動部分は、私が持っている錆だらけのホゾキリよりも状態が良く、滑らかに動いた。
この道具の持ち主は、なぜこの決断をしたのだろうかと考えてしまった。
出番がない機械だったことは分かるが、道具を手放すことは単に物を捨てるのとは違う、何か感情的なものが伴う。
中古道具市場に出すことも出来たはずだが、今更ホゾキリを購入する人もいないということだろうか。
道具を使って生み出されたものこそが勝負どころと考えることも出来る。
あるいは、人も作品も諸行無常と思うことも出来る。
写真など撮らなければよかったのかもしれない。(菅沼)
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